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他藩の、しかも藩主の係累という格の人物が当地へ滞在する場合。それが短期であるのなら、こちらの藩の居城の中や別邸や、若しくは用意された本陣なんぞへ逗留することもあるのだが。勉学のためや交流のためといった長期の逗留ともなれば、生活の場としてのそれなりの屋敷を買い上げて、当地での滞在場所とするもの。西の某藩はその嫡子をこちらの藩への遊学に出すにあたって、当人とその身の回りの世話をする者らを滞在させる藩邸と、それから。治政の要にあたる各部署の差配の様子を学ぶべく、要職についている家柄の子息らも何人か、こちらで学ばせんとして送り出していてのその寝起きの場としての、下屋敷をも借り上げておいで。勿論のこと、藩主や忠臣のご家老など国元の大人たちにしてみれば、善良で勤勉な家臣をばかり選りすぐり、ご子息のお供とした筈だったが。
“それがまさか、謀反を起こそうっていう物騒な連中だったとは、ってか?”
その“下屋敷”にあたるのだろう、一応は小ぎれいに掃除も行き届いている畳敷きの一室、庭や外へと通じる窓や廊下は見えない奥まった部屋に、縛られた上での監視もつけられ、分厚い布団の上、ころりと転がされている小柄な人物がいる。昨夜の宵の口、打ち合わせのあった船宿の離れで着替えをし、いろいろな心得を聞かされながら身なりも整えられて。そのまま こそりと…わざとらしくももう1つあった離れの戸口前を回って、裏口から表へ出た途端、何物かに掴み掛かられてしまい。危うく抵抗をしかかったものの、いやこの恰好のときは若様になり切るんだったと思い出しての大人しくしておれば、
『危害は加えません。どうかお静かに。』
囁かれて連れ込まれたのがこの屋敷。夜だったのでそのまま寝てしまえということか、布団を用意されていたので、その上にいるまでのことで。縛り上げられてる程度の扱いなら寝るのへの支障になぞならない、相変わらずに豪気というか豪快な親分だったが。うっかりと寝ているうちに別なところへ移動させられては剣呑だと。これでも警戒してのこと、何が起きてもいいようにとの覚悟に気を張り、まんじりもせずに夜明かししたルフィ親分だったりするのだ。
“まあ、
見るからに生真面目そうで、忠義にも通じてそうな連中ばっかだけれどもな。”
自分が本物の若様であっても、別に仇が相手というような恨みや敵愾心までは持っていないからか。昨夜掴み掛かって来た人影も、今 この部屋の隅に2人ほど控えている見張りにしても、睨んだり怒っていたりというような、厳しい顔やら気配やらをしている者はない。縄のかけようも優しいほうで、胴回りへ腕を添わしてのぐるぐる巻きだなんて、いかにも素人の縛り方だし。身じろぎするたび“痛くはないですか”とわざわざ聞かれた辺りは、もはやあり得ないレベルの矛盾した扱いだろうと言えて。
“…う〜ん。”
いよいよもって相手の動きが活発化したその中で、若様自身へ“市中に出ませんか?”なんて提案をして来たのをキリに。若様を見守っていた当地の人々が動き出し、ルフィへも呼び出しの投げ文が届いたのが一昨日のこと。少し前から…ゲンゾウの旦那を通さぬ筋からの打診はあったことで。だけども てっきり、護衛の一員として数えられただけかと思っていたらば。引き合わされた坊主と着ているものを取り替えるように言われ、口の利き方の稽古をつけられ。それから、
『よしか? 今宵から この装束をまといし間は、お主は若様だ。』
『……あ"?』
そんな運びなのだと誰も具体的に言ってはくれなかったのは、若様ご本人と引き合わせられた時点で、そんくらい気づくだろと思ったらしかったのだが、
『…悪かったな飲み込みがトロくてよ。////////』
だって俺、そんなに鏡とか見る方じゃねぇし。それに…そんなに似てたかなぁ? 見るからに育ちのいいお坊ちゃまって姿や態度の若様の側は、そういやずっと驚いたような顔ンなってたが。位が高い生まれだからと威張るでなく、逆に何にも知らねぇお馬鹿でもなくて。悪い奴には見えなかったから引き受けたことじゃああったのだけど、
“若様の方は無事なんかなぁ。”
こんなして大人しくしてるばっかのお勤めは、何となく気が疲れるからやっぱり苦手だ。あ、なんか腹ぁ減って来たぞ。そか、そろそろ朝なんだ。夜食もなしで寝ずに起きてたなんて何年振りだろな。あ〜あ、早いとこ動き出してくんないかなぁ。こっちから仕掛けるのは不味いらしいってんで大人しくしてたけど。人を攫ってる時点で、お縄を受けても文句の言えねぇ犯罪じゃねぇかよな。こんな中に独りっていう、俺の身を案じてのことならそれこそ余計なお世話なんだが、
「…若、お久しゅうございます。」
不意な声がかかって。取り留めのないことを考えていた思考がさっと切り替わる。…といっても、見た目には何の変化もないままであったことだろが。とほんとした鈍い動作で顔を上げれば、いつの間にか頭の側の襖が空いており。そっちには外へと面した廊下か濡れ縁へと接する障子があるのだろう。やはりすっかりと明けていたらしい外の光が、柔らかな明るさとなって満ちている。それを背景にした人影があり、
「………?」
「琉津でございます。」
「るっつ?」
寝起きとそれから眩しいせいだと誤魔化せるように、曖昧な声で繰り返したルフィへと向けて。若いのだか責ある立場の大人なのだか、どっちともつかぬような風貌と雰囲気をした男が。様式どおりの武家風に袷と袴を着つけた姿で、四角く座ったまま、にこりと、そりゃあ綺麗な笑い方をして見せたのであった。
◇◇◇
そもそもの“遊学”を強く進めたのが、城代家老の嫡男で。主家筋へ長く仕える家柄の者、現在の当主である家老もそりゃあ良く出来た人格者だしってんで、いい勧めじゃあないかとご藩主様も怪しまず、5年と期限を切っての遊学にと、若様を此処グランド・ジパングへ送り出したのが昨年のこと。
「ところが、そのご家老の嫡男には、実の父にさえ隠してたもう1つの顔があった。」
石(こく)高もさほど多くもなく、小さいなりに特別な産業なり地の利なりがあるということもない平々凡々な藩だけど、采配次第じゃあ国力を上げられるっていう、何やら大きな野望があるらしく。今の藩主じゃあのんびり構えすぎててダメ、自分がこの代で、藩を大きく変えてやろまいって、そんな風に一席ぶってはあちこちの若手を啓蒙していたらしくって。
「それって。」
「言い方を変えれば、立派な“クーデター”よね。」
本年度は藩主様が幕府のお膝下へと参内している年度なので、地元から見守るのとは勝手が微妙に異なっており。例えば書状などのやり取りも、それが間違いなく真筆であるとの肩書を得るためには、この藩から一旦国元へと送られたものが将軍のお膝下におわす父君の元へ…などという迂回を強いられてしまうので。不穏な動きを起こすには、まさに打ってつけだったという間合いの巡り。そこで、いよいよ蠢き始めた怪しい陰謀の発端は、
「お忍びでの市中散歩に出られませぬかと。
ご家老の子息の息がかかったお傍づきが、若様をそそのかしたのが発端でね。」
ネフェルタリ・コブラ様の治政の、具体的な有り様を間近に見なくてどうしますとか何とか、それは巧みな言いようで絶妙にそそのかし、そのお傍衆の彼も協力して、随分とあっさり市中へと抜け出せた。お忍び、つまりはご家中の人々へも内緒の行動。それへ気づいて慌てて捜し回るべく飛び出した顔触れの中にも、当然、そっちの手の者が入り混じってることだろし、
「そんな動きも、あんたらには予測のうちだったらしいな。」
現に、こうして若様はご無事。しかも用意のいいことには単なる変装じゃなくの、とある“別人”になりすましてもいる。敵方の陰謀に乗っただけで、此処までの準備が出来るとは思えない。
「ええ。コブラ様からこたびのお話を承ったおり、
何をどうされたいのかは、伺わなくとも判りましたもの。」
その切っ掛けとなった要素は、それこそ単なる偶然の巡り合わせだったのだろうけれど。ルフィにそっくりな若様。ということは…と、誰もが連想出来たことはただ1つ。どうやらきな臭い背景があるらしい若様の“影武者”という形で、あの頼もしい親分にも一枚咬んではもらえぬだろか。
「当初の、若様とご城主様との顔合わせがあった頃なぞは、
そういうことも可能だという、まだまだ冗談半分な話題に過ぎなかった。
ところが、この数カ月ほど、
国元とこちらとの間に不審な人の出入りが察知されるようになり。
何かしらの企みが動いているんじゃないかとの、警戒を持って見ておれば。」
下屋敷に集う、若い顔触れの“お傍衆”の何人か。人目をはばかり、国元からの文を彼らだけで読み耽る様子が幾度も目撃されており。それらを糸口に綿密な調べをつけたところが、こたびの企みが見通せて。そこで、
「親分へも事情を説明しておいて。
いざという時には、参加してもらう手筈になっていてね。
それでいよいよと呼び出したのが昨夜のこと。」
こういう手筈になってるって事へは気づいてなかったか、着替えさせられたのへはキョトンとしておいでだったけれど。あらためての説明を加えたらば、何だそんなことかと快諾してくれて。それで……、
「若様は安全だろうと思われたからこその無防備でいらしたの。」
「…ってことは。」
不意に説明の脈絡が大きく飛んでしまったロビンの言い回しへ。どこか忌々しいというお顔になったゾロだったのは、省略された部分がすぐさま理解出来たから。この若様をどうにかしたい相手の黒幕とやらが、偽物とも知らないでルフィをその手中に収めたから、だからもはや市中に出向いて探すはずもない…という理屈であると。
「それで、こっちの若様がこうまで無防備でも差し支えはなかったと?」
「ええ。」
それでも万が一ということが絶対にないとは言えぬ。それに、ルフィは善しにつけ悪しきにつけ評判の親分だから。本人とは思えぬ言動をする、何だか妙な少年が徘徊しているぞ…なんてことが広まって、それが向こうの耳目へ届いたら。しいては替え玉作戦へも支障が出かねない。なのでお屋敷で大人しくしていてほしいところではあったけれど、
「余は るひーと約束したのだ。」
若様がそんな風に口を挟んで来、
「るふぃーは偉い人から命令されて何かするのは大嫌いなのだ。
それでもこたびの働きを引き受けてくれたのは、
世間を知らぬ余を守りたいからというだけじゃなく、
国元までが混乱に乱れ、民が巻き添えを来ってしまうのが忍びないから。
こんな遠くからでも手を貸せるなら協力してやると。」
いかにも四角い物言いではあったが、その合間合間のいい回しの拙さはそのまま、若様自身の、自分の言葉で語っておいでなのだということを物語ってもいて。そんな心根、恐らくはルフィ本人へも語った彼なのではあるまいか。
「よって、るひーが余の身代わりという大役をこなすのならば、
余は親分の代役をするのが道理であろうが。」
「あのなぁ。」
素人に何が出来るんだ…と思ったゾロだが、そういう心意気が好きな親分だというのも理解でき。危険な仕儀へ、なのに二つ返事で請け負ってくれたルフィだったことへと心打たれた若様なればこその、この無謀な行動だったということなのだろう。しょっぱそうなお顔になったお坊様ではあったれど、
「…まあ、こうやってややこしい徘徊をしてくれたからこそ、
俺もこうして、こんな事態へ気づけたんだろうしな。」
天真爛漫なところまでもが同んなじで。そこが憎めぬとの苦笑に口元を吊り上げたお庭番さん。怒っていても始まらぬしと、やっとのこと切り替えてくださったようであり。そこへ、
「市中を駆け回ってたはずの皆々様が、徐々にとある屋敷へ集まっている。
表向きには途中経過の報告にと言い繕ってるらしいけれど、
だったらどうして、若様のおいでな上屋敷にあたる藩邸じゃなく、
家臣らの詰めている下屋敷の方へ、なのかしらねぇ。」
ここに居ながらでもそこまで監視しおおせているのは、ロビンの特異な能力あってのことでもあろうが。それでも、そちらの動きへは“監視している”というだけのこと、ルフィ自身の傍らについている訳じゃあない。
「いくら岡っ引きでも、公式な格や扱いは一般市民も同様。
しかもそちらさんの属す、どこやらの藩の人間でもない存在を、
よくもまあそんな危険なことへ駆り出せたな。」
政策的な駆け引きを持ち出されれば、名もなき一介の市民は真っ先に見捨てられように、そんな対象へとあの無邪気な親分を使い回そうとはと。他の事情はどうあれ、そういう傲慢さが我慢ならんと言いたげな坊様であり。本来であれば彼だって、幕府の手先という格のお庭番。下手すりゃもっとむごい仕置きもするだろ立場のはずだけど。それが出来ないことから、無能な男という札付き隠密の汚名をあえて着ている節があるとか、同僚のドルトン氏から聞いたことがあるロビンさんであり。再び不機嫌そうになり始めた彼を前に、
「ここで あーだこーだと言ってる場合?」
別に、こっちの手のものだけで収拾はつけられますけれどと言いつつも、こうまで素早く嗅ぎつけたお坊様の、あの親分への入れ込みようは先刻承知。剣の腕といい頼もしい人性といい、人としては優秀でありながら…権勢のゴリ押しにはついつい臍を曲げるという、至って判りやすい癖のある彼が、なのにこの地ではそんな苦手なお勤めに精出しているのも、他所へと飛ばされたくはないかららしくって。そんな可愛いお人にも、この際は協力してもらおうかと思ったらしく。
「〜〜〜〜判ったよ。」
ほら、なんてまあ簡単に言いくるめられる人なんだかと。くすくす微笑ったロビンが、だが。はっとすると若様の腕を取り、自分の背後へ尚のこと深く押し込む。ゾロの方でも何かしらへ気づいたようで。だが、
「……あんたは。」
川を挟んだ向こう岸。橋がある上、それほど深くて速い流れでもない淵であり、わざわざ船の渡しなんぞは要らない瀬だが、それでも…何の用意もなく渡ろうと思う人はいなかろうだけの幅はある。それほどの距離があるっていうのに、どうしてだろか、こちらのやり取りを全て聞かれていた気がするほど。落ち着き払った態度のまま、こっちを凝視している存在があり。関取かと思わせるほどに、背丈とそれから体の幅もたんとあり、そうまで恰幅のいい男なのに、今の今まで気配も感じはしなかった。むしろ、
“自分から気配を放ったから、私たちも気がついた?”
そんな順番だったのがありありと判るほどに、いかにも泰然とした態であり。しかも、
「何でこの藩へ…。」
世間を知らない子供っぽいそれとは一線を画したレベルで、怖いもの知らずな威容を常にまとっているゾロが。顔見知りな相手なのか、それにしては警戒心を露骨に示してもいるのが意外すぎて。
「あの人、あなたのお仲間?」
だとしても、隠密だというならば答えられはしないかなと。訊いたそのまま、馬鹿なことをしたと自分で自分に失笑したロビンだったのへ、
「ああ。」
これもまた意外にも、視線は相手へ釘付けにしての動かさぬまま、肯定の返事を寄越したゾロであり。
「バーソロミュー、暴君クマ。
俺らでも滅多にお目見えが許されねぇ、正一位猊下だよ。」
*猊下(げいか)というのは、位がずんと高い高僧への敬称です。
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*お待たせしました、やっとの親分の登場ですが、
あんまりお話は進んでませんかね。
ややこしい設定にしたので土台を立ち上げるのに右往左往しております。
相変わらず、自分の甲羅に合う穴を掘らない馬鹿ガニです。(ううう)
続きはしばしお待ちを〜〜〜。


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